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少人数クラスと夢のある校舎

少人数クラスがいかに大事か
以下の記事は、島の学校の様子ですが、1対1はそれなりの苦労はあるにしても、少ない人数でこそ教育の効果は全うできると言えます。24の瞳人間味あふれた作品も12人のクラスです。今時40人なんて、人を物としか見ない官僚的発想のなせる技です。そして、沖合約3キロに位置するこの島にも学校がある、これも日本の昔からの姿です。なぜ、効率や予算縮小でこうした学校をなくしていくのでしょうか。こんな所にこそ惜しみなく予算を使うべきです。それは民営化で郵便局がなくなる、灯台や気象台がなくなる、みんな同じ流れです。効率と近代化ということなのかもしれませんが、地域切り捨てと言ってもいいものだと思います。どこに行っても学校がある、そんな時には、いじめもこんなに大きな問題にならなかったはずです。
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潮騒教室:向島小中学校の教え/上 対面授業 「いじめ、ありえない」 /佐賀
 唐津市肥前町の沖合約3キロに位置する向島(むくしま)。31世帯96人が、港の周辺に寄り添うように暮らしている。集落の東の端に建つのが向島小中学校。港にこだまするチャイムの音は、島民の時報代わりだ。本土にあって島にないものを数えればきりがない。だが木造2階の小さな校舎には、本土にはないものがたくさん詰まっていた。【朴鐘珠】
 ◇教員をも育てる不思議な力
 「心(しん)君、海がしけた時、何が気になる?」
 宮崎義宏教諭(37)の問いかけに、小林心君(中2)は窓の外に目をやった。海面を白波が覆っていた。理科室の石油ストーブの上でやかんが「シュンシュン」と湯気を立てる。
 「西風……かな」
 「そう、でも西風は西から吹いてくるけど、西の潮は逆に東から流れてくるけん、そこんとこ気をつけんばね」。釣り好きの先生は右腕を伸ばすと、心君の頭をわしづかみにして、得意げになで回した。
 チヌ、メバル、スズキにアオリイカ--。4年前の着任時、宮崎先生は用途別に6本の竿(さお)を抱えて島に渡ってきた。登校前と放課後、来る日も来る日も防波堤に通いつめた。島は太公望にとって天国だった。
 だが職場は勝手が違った。「ずっと40人相手に授業していたのが、いきなり1対1でしょう。四六時中空気が張りつめているのが嫌で、無理して冗談ばかり言ってました」
 向島小中学校の児童生徒数は小1、小6、中2がそれぞれ一人ずつ。一方の教員は担当教科ごとで計10人。子どもを本土の学校に通わせる方が安くあがるという声も聞こえてくるが、江崎孝校長(56)は首を横に振る。「学校もない島で、若い夫婦が子育てしようという気になりますか。確かに友達は少ないかもしれないが、ここではマンツーマン指導で教員と子どもが互いに気心を知り尽くしています」
 島内は親せき付き合いが深く、姓が古川、樋口、小山、小林の4種類しかない。だから島民はみな名字でなく名前で呼び合い、教員も子どもたちを「しん、ひでき、さやか」と親しみを込めて呼ぶ。
 小1の古川さやかちゃんも、小6の古川秀樹君を「ひできあんちゃん」、心君を「しんあんちゃん」と慕う。「向島ではいじめなんてありえませんよ」という江崎校長の言葉も納得できる。
 今度の春には異動の話があるかもと、宮崎先生は覚悟している。近ごろは釣り竿の出番も減ってきた。「ここでたった一人を教えきらんかったら、本土に戻っても40人を教えきれるわけがないでしょう」
 向島小中学校には子どもだけでなく、教員をも育てる不思議な力がある。
                      毎日新聞 2007年1月4日
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 上のことと相反する内容が以下の記事ですが、統廃合云々より、私は夢がふくらむ、楽しくなって学校に行きたいと思う校舎という点で紹介します。建物の構造がいかに教育的に大切かこのことは教えています。行政当局はこのことにも心すべきです。
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新教育の森:学校未来形・博多小の6年間/1 第1部 挑戦(その1) /福岡
 ◆一つになった人と町  ◇苦渋の統廃合を決断
 小学校の統廃合は、福岡市で初だった。しかも創立120年を超える冷泉小を筆頭に▽奈良屋小▽御供所小▽大浜小--と伝統校ばかり。「小規模校の何が悪い」「大通りを渡らせるのは危ない」。市教委の永富伸二総務課長(当時、担当係長)は「説明会は反対一色。険悪なムードもあった」と振り返る。
 だが、地域の空洞化は著しかった。高度成長期は4校で4000人以上いたが、学年が10人未満となる学校も。そんな中、大浜小校区が1年近い議論を「断腸の思いで、賛同する」とまとめた。
 後に博多小PTA会長に就く堀武志さん(50)は言う。「(旧小時代も)学校と地域はアットホームないい関係だった。でも、将来を考えれば大勢と交流して社会性を身に着けさせたかったし、統合をめぐり地域がいがみ合うのも避けたかった」。大浜の決断を機に、3校区も容認に転じた。
 ◇“常識”覆した設計者
 伝統の博多祇園山笠で培った地域の団結力は強い。「やるからには日本一の学校を、という意気込みが、行政にも地域にもあった」と永富総務課長。学校づくりの基礎となる設計者選定に、考え方や提案内容を審査する「プロポーザルコンペ方式」を初導入し、福岡市出身の建築家、工藤和美さん(46)が選ばれた。
 工藤さんが掲げたコンセプトは「学校はまち まちは学校」。博多の町を歩いて思いついた。
 「商店街で働く人、歴史と伝統を誇る神社や寺、どこからか聞こえる三味線の音……。通学路のそこらじゅうに生きた教材があった。一方、学校は病院(保健室)もレストラン(給食室)も社長室(校長室)もある町の縮図だと思ったんです」
 そこには学校と地域が、ともに教育を担う理想も込められていた。
 「室外でご飯を食べたい」「地域も使える施設に」。連日のように開かれる打ち合わせで、工藤さんは児童や保護者の要望を丹念に拾い上げた。同時に、学校建築の「常識」を一つ一つ検証した。
 教室と廊下を壁で仕切るメリットは?
 どうして調理実習と裁縫は同じ部屋なの?
 子供がトイレを嫌がるのは当たり前?
 「職員室はいらない」という大胆な発想は、市教委幹部らとの雑談で生まれたという。
 ◇“おとぎの国”に歓声
 新校舎開校式の朝を、笠原嘉治校長(当時、教頭)は鮮やかに覚えている。仮校舎の旧冷泉小から大通りを歩いてきた子供たちが、半地下式でガラス張りの体育館を見て歓声を上げた。「校門をくぐると、おとぎの国のお城に入ったような喜びようでした」。笑顔の輪の中には、1年近く不登校だった女の子もいた。
 開校後、博多部の人口は増え始めた。都市開発だけでなく、子供の就学を機に「博多小に通わせたい」と帰ってくる「元博多っ子」も少なくない。「学校には地域の人を呼び戻す力がある」と笠原校長。初代PTA会長を務めた博多の総鎮守・櫛田神社の阿部憲之介宮司(53)は、こう語る。
 「厳然とあった校区の壁が消え、新しい交流が生まれた。学校が一つになり、子供も大人も町も一つになれた」(つづく)    毎日新聞 2007年1月1日

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