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小学英語は民間頼み、必修化控えて質が課題

小学英語は民間頼み、必修化控えて質が課題
指導助手が次々と辞める、担任の直接指示に制約も
 2011年度から必修化される小学5、6年生の英語の授業について、文部科学省が全国の公立小学校約2万1000校などを対象に調査を実施したところ、昨年度に小学校で実施された英語授業のうち7割近くで外国語指導助手(ALT)が活用されていたことがわかった。
 生の英語を学ぶ機会が定着してきたことが浮き彫りになった形だが、一方では、簡単に授業を投げ出してしまうALTもいるなど、“質”の問題が浮かび上がっている。
 「また辞めるのか」。7月中旬、埼玉県内の市教育委員会の担当者は、業者から米国人ALTが交代するとの電話連絡を受け、頭を抱えた。4月以降、辞めるのは3人目。1人目は「通勤時間が長い」と小学校に現れず、2人目と3人目は「一身上の都合」などを理由に、1学期の授業だけで、学校から消えた。2学期からは4人目が来る。担当者は「継続性が大事なのにこんなに交代するなんて。児童たちにも説明ができない」と困惑する。
 「人件費を切りつめるから辞めてしまうんだろう」と、埼玉県内のある学校長はうち明ける。この学校のALT派遣を請け負った業者は、入札で、昨年の業者に比べてALT1人あたり31万円も安く落札した。
 文部科学省によると、ALTを活用した小学校の授業のうち、国が仲介する「JETプログラム」によるものが25%で、残りは民間業者への委託など。
 この市の場合、40余りの小中学校にALT約20人を派遣する民間業者と契約を結んだが、校長は「風邪で半日休み、給与とボーナスを両方カットされたALTもいた。なりふり構わぬ業者が増えれば、教育の質は保てなくなる」と危機感を募らせた。
 関係者によると、業者の新規参入が目立つようになったのは、小学校英語の必修化が打ち出された06年ごろから。かつてはJETプログラムで採用したALTを自治体が直接雇用するのが主流だった。
 しかし、自治体側はALTが住むアパートを契約したり、交代要員を確保したりしなければならない。民間業者に委託すれば、こうした手続きは不要になるため、業者を活用する自治体が徐々に増えてきた。
 民間ALTを雇用する場合は、学校側が人事管理をする必要がない「業務委託(請負)」にするケースが多い。この場合、教師がALTに直接指示すると、労働局から違法な「偽装請負」だと指導される可能性もあるため、「目の前のALTに指示してもらうため電話してくる先生もいる」(英語教育関連会社)。偽装請負について、文科省は05年に注意喚起の通知を出したが、契約方法は各自治体に一任。業者の実態についても把握しておらず、「質まで判断しようがない」と説明している。
 JETプログラム JETはThe JapanExchange and Teachingの略。学校で語学指導などを行うため、外国人に教育指導を行った上で各自治体に配置する事業。1人あたりの報酬は年間360万円(税引き後)。
(2009年7月28日  読売新聞)
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 業者任せの弊害がここでも現れています。アパートなどの世話も一切業者に任せられるので不慣れな指導助手も助かるし、行政側も負担が軽くてすむといったところでしょうが、もうけが目的の業者です。給料を不当に下げたり、休んだらボーナスカットと指導助手の不安をあおっています。こうした業者に頼らざるを得ない英語の授業は、裏付けのない後手後手の政策の典型でしょう。論議した末、ある自治体や学校が英語導入になったのならその準備も出来たろうに、国が一律指導要領で縛り一方的に発令するからこのようなことになると思います。しかもほとんど予算もつけないで。各自治体も悩ましい、といったところでしょうか。

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教育激変、文科省“解体”? 民主の政策「教科書検定」触れず

教育激変、文科省“解体”? 民主の政策「教科書検定」触れず
 高校は無償化、文部科学省は「中央教育委員会」に縮小、現行の学習指導要領は廃止? 民主党が政権交代後に描く教育政策は、25日に明らかになった「教員免許更新制廃止」以外にも、マニフェスト(政権公約)のベースとなる「民主党政策集INDEX2009」(23日公表)で数多くの“激変”が示されている。昨年の政策集にはあった「教科書検定制度維持」も姿を消しており、学校教育の根幹が揺さぶられ、事実上の文科省解体を盛り込む内容だ。
 政策集では、現行の教育制度は抜本的に再構築。文科省は教育の全国基準の設定や予算・教職員の確保、法整備などに役割を限定された中央教育委員会になる。
 市町村では「教育行政の独立」の建前を覆し、首長を責任者に設定。学校は保護者や地域住民らによる「学校理事会」が運営し、将来は教科書採択も学校理事会単位で行うよう、段階的に移行するとしている。
 中央教育委員会がつくる学習指導要領は、教科ごとの内容を細部まで示した現行のものを大綱化し、学習内容は地域や学校、学級で決められる。教育の地方分権からさらに“学校分権”まで突き進め、民主党の支持母体、日教組の主張とも合うものになっている。                                              
政策の目玉の一つが高校無償化で、「高校は希望者全入、公立校の授業料は無料、私立高生にも年12~24万円程度を補助」と明記。
 就学支援については文科省も24日に検討委員会を発足、来年度予算の概算要求に盛り込む意向だが、財源問題から「年収350万円以下の低所得層」に支援対象が絞り込まれる可能性が高いという。
 昨年の政策集にあったのに今年消えた記述もある。教科書検定制度について昨年は「普通教育に対する国の責任の一貫として、制度を維持する」と明記したが、今年は採択地域の細分化について触れただけで、制度に言及していない。
 教育関係者は「検定制度の廃止を求める社民党に、連立を意識して配慮したのでは」と指摘している。
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 選挙ですからいろいろ目玉を並べるのでしょうが、受けだけねらっても理念が明確でないと、その場その場で目玉が右往左往します。ぶれるという言葉が政界で行き来していますが、ぶれてしまっては迷惑を受けるのは子どもと国民です。どんな教育をめざすのか、子どもにつけたい力と子育ての展望をまず示すことが必要です。
社民党が言っているからとか、顔色をうかがうだけではいけません。まずしてほしいことは、クラスの人数を減らす、教師の数を増やす、教育課程の弾力的な運営を基準に盛り込むことでしよう。今あるものを全部否定して目玉を出してもかえって混乱するばかりだと思います。

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教員免許更新制度廃止も 「民主政権」日教組に配慮

教員免許更新制度廃止も 「民主政権」日教組に配慮  2009.7.26
 民主党が、8月30日投票の衆院選後に政権の座についた場合、今年4月に導入された教員免許更新制の廃止を含めて、現行教員制度を抜本的に見直す方針であることが25日分かった。免許更新制については、同党を支援する日本教職員組合(日教組)が廃止を強く求めていた背景がある。
 教員免許の更新制は、安倍晋三内閣時代の平成19年6月に成立した改正教育職員免許法に基づいて導入された。教員の質の維持・向上のため、教員免許の期限を10年とし、免許更新のための30時間の講習受講を義務付けた。
 だが、日教組は、「教員の時間的な負担が増す」などとして、廃止を求めてきた。日教組出身の民主党の輿石(こしいし)東(あずま)参院議員会長は5月16日、山梨市での山梨県教職員組合の定期大会に出席し、「(政府・与党は)教員免許更新制度などとふざけたことを言うな」と述べた。さらに、今月25日には、甲府市で演説し、「政府は先生の身分にまで口を出す必要はない」と述べた。
 民主党は今年3月、教員免許改革法案を議員立法で参院に提出、野党の賛成多数で可決され衆院に送付されたが、審議未了で廃案となった。民主党はこの法案を踏まえた制度改革も検討。教員免許を「一般」と「専門」に区分して、教員の養成課程を4年制から6年制に改革する方針だ。免許取得時のハードルを上げて、教員の待遇改善や社会的地位の向上を図る目的があるとみられる。
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 教員免許更新制度が廃止されるのは歓迎ですが、政争の具で強行採決されたり廃止されたりには疑問を感じます。中身の論議と何故制度が必要か不要かを国会の場で国民に分かりやすく審議することが抜けているからです。ある議員が日教組出身だから廃止にするというのは国民を、教員を馬鹿にしています。これでは自民党政治と何もかわりません。民主党がそれをいうならもっと民主的な手続きで提示しなくてはいけません。そうでないとどう見ても支持するわけにはいきません。

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通知表:教師の「本音」は マイナスの言葉書けず

通知表:教師の「本音」は マイナスの言葉書けず
 ◇「騒がしい→活発」「反抗的→自立した」
 もうすぐ夏休み。3学期制の学校では通知表が渡される。所見欄に褒め言葉が多いと親としては安心するが、実は先生たちの「あからさまには書けない本音」も隠れているらしい。学校でのわが子の姿を知るには「裏読み術」が必要なようだ。【木村葉子】
 「お子さんの言葉遣いについてお話ししたいので、面談にいらしてください」
 数年前の秋、東京都内の女性会社員(41)は娘の担任からの電話に驚いた。娘は当時小学校中学年。親としては面談を受けなくてはならないほど言葉遣いが悪いとは思っていなかった。
 振り返れば確かに、担任が娘の通知表に書いた所見には<言葉遣いや行動が乱暴になる時があるので、注意できると良い>とあった。家庭でも「気をつけようね」と話してはいたが、多少荒っぽいことを言っても「子どもらしく元気な証拠」と深刻には受け止めていなかったという。
 女性は「所見欄の読み方が甘かったのか」と、知り合いの小学校教師に聞いてみた。すると「教師が<注意できると良い>と書くのは、よほど目に余り直してほしいところ。かなりきつい表現だ」とアドバイスされた。女性は言う。「所見を額面通り受け止めていたら、先生の意図を見落としてしまう。親はもっと厳しい目で通知表を読んだ方が良いのかもしれませんね」
 ベネッセ教育研究開発センターが05年、小学生の保護者4432人を対象に行った意識調査では、学習の評価(成績のつけ方)への満足度は「とても満足」「満足」が合わせて60%で、「あまり満足していない」「まったく満足していない」と答えた保護者も32%いた。教師の指導力不足やモンスターペアレントの問題が取りざたされ、学校と保護者の関係が難しくなってきた時代、親の3人に1人が通知表のあり方などに不満を感じていることになる。
 だが先生たちにとって、通知表の作成は難しい仕事だ。
 都内のある男性小学校教師は「大事な課題や改善点は面談で伝えることが基本」と話す。「所見にはマイナスの言葉は書きません。学校でどんな変化が見られたかを保護者に伝え、足りないところがより良くなるよう、励ます言葉を選びます」。例えば<最後までやり通せなかった>という子には、<最後までやり通せるようになると良い>。
 裏を返せば、保護者は<できるようになるといいですね>などと書かれた点は、子どもがまだできていない課題だと意識することが必要になる。
 教育関係者によると、児童・生徒に問題行動があってもソフトな言葉で表すようになってきたのは、個性を重視する教育が取り入れられた90年代以降だ。
 通知表の所見の書き方については、教師向けのマニュアルも出版されている。教師のための情報を発信する「教心ネット」運営責任者で教育コンサルタントの伊藤敏雄さんは「マイナス面は書けないので、言い換えに多くの教師が悩んでいる」と指摘する。
 伊藤さん自身も「書きかえたい言葉一覧、文例集」を作り、ネット上に公開している。例えば、授業中騒がしい子には<活発>や<元気>。口が悪い子には<自分の意見が言える>など=別表参照。最近では「学校での子どもの姿がわからない」という保護者たちが所見欄を「裏読み」するのにも活用されているという。
 伊藤さんは「行動に問題があっても教師はソフトな言葉でしか示さないので、親は子が学校でうまくやっていると勘違いしてしまう。子どもの学校での姿を把握し、成長につなげてほしい」と話す。
 教師との関係性やクラスの雰囲気などでも、子どもの言動は大きく変わる。通知表は中身に過剰に神経質になるよりも、教師とのコミュニケーション手段と位置づけ、家庭と学校が手を取り合って子を育てていくことに生かしたい。
 ◇教科の評定は絶対評価だが…
 教科ごとの評定についても、受け止め方に悩む保護者は多い。
 公立小中学校では02年度以降、学級や学年全体の順位や割合を考慮して個人成績が決まる「相対評価」から、他との比較ではなく教科ごとの目標や内容に対するそれぞれの到達度で評価する「絶対評価」になった。「A=良い」「B=もう少し」「C=がんばろう」などだが、各評価に人数の枠がないため、目標を達成していればクラス全員をA評定にすることもできる。
 実際は多くの子に「B」がつき、「A」は飛び抜けて理解の進んでいる子、「C」は目標に到達しておらず勉強に真剣に取り組むべき子という。しかし、クラスの多くの子が目標に到達していない場合、教師の基準は甘くなりがちで、本来ならば「C」のところを「B」にしてしまうこともある。「『真ん中なら大丈夫』とのんびりしていると、思わぬ落とし穴が待っていることがある」と指摘する教師もいる。
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 普通の学校、今までの学校では通知表の季節です。2学期制の所は通知表はありませんが、この時の前後に懇談があります。その場では通知表に近いものを渡す所もあります。10月初めが学期末ですからこの時に通知表がわたされ、間を置かずして2度も通知表を作成する担任も苦労しています。通知表の記述ですが、どの場合でも書くとそれは後までも残るので辛辣ではない言葉になることもあるでしょう。要はその表現で全て判断するのでなく、親と担任との話し合いや伝達を重視すべきと思います。そして断定として見るのでなく変わっていく可能性を持った我が子と見ることです。その観点から通知表も見るのが妥当と思います。
「本音」はマイナスの言葉書けず、とタイトルにありますが、ですからそうではなくて話を聞くことを重視すべきと思います。それも通知表わたし1回きりで顔を合わせて聞くのなく、日頃の懇談会にも顔を出し、疑問や質問があれば日頃電話や連絡帳で連絡を取り合う、そうした関係を作っておいた上での、話を聞く、です。これは親もそうですが担任も心すべきことかと思います。

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教員免許更新、大学講習ガラガラ 228講座中止に

教員免許更新、大学講習ガラガラ 228講座中止に2009年7月15日
 今年度から始まった教員免許更新制で実施される教員向けの講習について、15日現在で39大学が計228の講習の開催を中止したことが文部科学省の調査でわかった。いずれも申し込みがゼロだったり、極端に少なかったりして、大学側が「経営効率が悪い」などと判断したという。受講できなくなった教員は401人おり、代替の講習を探さねばならなくなっている。
 教員免許の更新は10年に1度義務づけられ、今後、全国で毎年約10万人の教員が対象になる予定だ。文科省は制度開始に当たって全国の大学にできるだけ多くの講習を開くよう協力を呼びかけてきた。しかし、各地の受講予定者数に対し、大学側がどれぐらいの講習の数を設けるのが適正か考えず、任せきりで十分に調整しなかったため、こうした状況を招いたとみられる。
 文科省によると、教員免許更新の講習を開く大学は510。このうち、通信制を除くと、教員の新たな知識などを学ぶ「必修」科目の開催は延べ315大学・901講習(定員約11万2400人)、生徒指導などに役立てるための「選択」科目が496大学・8540講習(定員約13万6600人)に及ぶ。
 しかし、全体的に「供給過剰」の状態で、ほぼ日程が固まった5月末の段階で、定員に対する申込者の割合は「必修」が約6割、「選択」が約4割と大幅に定員割れを起こしていた。
 大半の講習は大学、教員ともに比較的余裕がある夏休み期間に設定されており、これからが本番だ。国立の広島大学(広島県東広島市)の場合、8月中に「選択」科目を69講習開く予定だったが、開講の条件を「希望者8人以上」と設定しており、31講習がゼロも含めてこれを下回ったため、中止にしたという。広島県内には免許更新の対象者が年間2千人程度いるとみられるが、受講者側は自宅からの通学の便利さを優先して大学を選ぶなどの傾向があるという。
 ほかにも、群馬大、埼玉大、富山大、長崎大など国立を中心に10講習以上中止した大学が出ている。取り上げるテーマや内容、大学の設備の充実度などで人気、不人気の差が開くケースも目立つという。文科省の担当者は「今後は地域での量的な調整も含め、教育委員会と大学の情報交換をより進めるようお願いしたい」と話した。(編集委員・山上浩二郎)
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 強行採決の時からこの制度と運用には大きな疑問があり、問題ありの代物です。廃止しかありません。本当に研修としての意味もあり学ぶものがあるのなら話は別ですが、それもなくただ強権的に忠誠心を誓わせるようなニュアンスも持って無理矢理受講させるやり方では問題が大きすぎます。廃止です。

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昨年度の児童虐待、過去最多4万件超す

昨年度の児童虐待、過去最多4万件超す 0歳児が5割弱2009年7月14日
 全国の児童相談所が08年度に対応した児童虐待は、過去最多の4万2662件(速報値)に上ると、厚生労働省が14日、発表した。前年度より2023件増えた。子どもの安全確認のため、児童相談所は08年度から強制的に立ち入り調査できるようになったが、相談職員にはためらいもあるとみられ、実施は2件にとどまった。
 児童虐待の件数は、統計をとり始めた90年度から連続して増え続け、10年前の約6倍に。厚労省虐待防止対策室は「虐待そのものが増加しているほか、虐待に対する認識が高まり、通報や相談が増えている」とみている。
 また、07年1月~08年3月に虐待によって死亡したのは、115件142人。心中・心中未遂を除く73件78人のうち、0歳児が5割弱を占めた。母親に相談相手がいなくて孤立していたり、精神的問題を抱えていたりするケースが目立った。 昨年4月の改正児童虐待防止法施行により、虐待が疑われる親が知事からの2度の出頭要求に応じない場合は、相談所が裁判所から許可状を取れば、警察の援助を受けて強制的に立ち入り調査できるようになった。
 強制的な立ち入り調査を実施したのは2自治体2件で、子ども計4人を一時保護した。うち1件は子どもを学校に通わせず、自宅アパートからは異臭がしていた。出頭要求などにも応じないため、大家から借りた合鍵で解錠、さらに金属製のドアロックも切断し、子ども3人を一時保護した。
 厚労省虐待防止対策室は「相談所職員のなかには強制的に立ち入り調査することに躊躇(ちゅうちょ)もあると思うが、子どもの安全確認・確保には効果があったと評価している。こうした制度の適用も含め、虐待対策に取り組んでいきたい」と話す。(高橋福子)
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 虐待の増加は今の社会不安と直結しています。今の社会は具体的には格差競争社会で、お金がすべて物を言う社会です。コミュニケーションや助け合い、教え合いの空気が消え、全てどの家庭も自分で生きていくことを強いられます。自己責任の名で全て自分でやることを求められます。また、常に他の子と比較し気になりその不安の中で生きていかねばなりません。こうした背景の中で虐待が増えてきます。
  子育てでの心身の疲れやストレス、不安を出し合う親の場の設定も必要です。早急な具体策の提案が求められます。

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「連絡名簿作ろう条例」箕面市検討

「連絡名簿作ろう条例」箕面市検討 インフル混乱が教訓2009年7月12日
. 学校や自治会の連絡名簿をつくろう――。こう呼びかける条例制定をめざし、大阪府箕面市は近く検討会議を設ける。個人情報保護を理由に連絡名簿の作成は減っているが、新型インフルエンザで急に休校が決まったとき連絡が行き届かずに混乱したため、必要と判断した。総務省によると、全国的に例のない試みという。
 05年の個人情報保護法施行を機に、「個人情報なら何でも保護しないといけない」との誤解が広がり、名簿をつくらない学校や団体が増えた。箕面市では、08年に教育委員から「名簿がないと親同士が子育てなどで互いに相談しにくい」と指摘があり、対策を検討してきた。そこに今年5月、市内で新型インフルの感染が確認された。学校の休校が日曜に決まったが、市立小中19校のうち2校に連絡網がなく、担任が家庭に1軒ずつ電話し、月曜までに連絡がつかないケースもあった。
 条例では、名簿の必要性を強調したうえで、名簿をつくる際に保護者ら当事者から同意を取ることや、努力義務として名簿を外部に漏らさないことを盛り込む考えだ。名簿に関するトラブルや苦情の相談窓口を市が担うかどうかも検討する。12月市議会に条例案を提出する。
 倉田哲郎市長は「地域コミュニティーの強化と緊急対応のために連絡網は必要。『個人情報を守るためになくそう』という議論が再燃するかもしれないので、条例で『安心して名簿をつくってください』と宣言したい」と話す。(柳谷政人)
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  05年の個人情報保護法施行が神経過敏に受け取られ、連絡網も消えたことは認めます。住所、氏名、電話番号、そして長子か次子かの一覧または、連絡網ですが、この名簿が流れてダイレクトメールが届くようになるというものですが、今まで電話や住所はどこにでも出してきたし、そんなに知られてこまるものでもない、と振り返って見ると思える気もします。以前も書きましたが、連絡網がないために、全部個別の児童に学校から発信することになります。その場合電話が使えなく、個人の携帯を使うことになります。連絡網の場合は氏名と電話だけの表示でもオーケーですので復活してもいいと思います。条例を作らなくても。

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副読本共用は著作権侵害

副読本共用は著作権侵害 
『副読本の共用は著作権を侵害する』などと理由にならない理由で教育委員会を″指導″した文科省の姿勢は極めて問題です。また、それをうのみにして保
護者に負担させた市教育委員会の責任も大きく問われると思います。
 こう話すのは、川崎市の市古市議です。同市では、小学校の道徳で使う副読本については、ほとんどの小学校で公費で購入。学校で保管し、生徒同士で共用するか貸し出し用として使い、独自資料も加えながら道徳指導をすすめてき
ました。副読本の負担区分について「学校の備え付け、共用または貸し出し用として使用するものは公費」と明確に位置づけており、保護者負担はありませんでした。
 ところが昨年度末、突然、合同校長会議の場で「小学校の副読本を学校で共用することは、著作権上問題がある」として個人で購入するよう市教委が指示したのです。その結果、4月には市内115校のうち85校で、計約5万3000冊を保護者負担で購入。負担額は2800万円にのぼります。
突然の保護者負担はなぜ?
なぜ突然、公費負担から保護者負担へと市は方針を変えたのか。その発端は昨年12月、文科省が主催して、全都道府県・政令指定都市教育委員会指導主事を一堂に集めた全国指導主事連絡協議会で、道徳担当の教科調査官が行った説明でした。
 本来児童生徒が個人購入することを想定して作成されている副読本を、学校の備え付けとし、共有して使用することは、訓読本に対する著作権を有する教材出版社の利益を不当に侵害することに該当するとの考えが一般的である…。こうした理由から、各学校で適切な対応を行うよう文科省が求めたのです。
 市古市議は言います。
 「学校で複数の副読本を備え付け、共用または貸し出しをすることがなぜ著作権法に違反するのか。あり得ないことです」
 市議団は6月25日に同省の道徳部会に電話。さらに翌日、国会の石井郁子衆院議員事務所を通じて同省に問いただしたところ、同省は「発言は誤りだった」ことを認めました。同日、同省は詳しい説明と謝罪のため市教委を訪れました。
 市古市議は6月29日、定例市議会でこの問題を質問しました。「ドリル代金が上がって、給食費も値上がりしで保護者負担が増えた。経済環境が厳しい中で、なぜ保護者の家計に心を寄せてもっと深く検討しなかったのか」と追及。市教委は「今後については、文科省の説明を踏まえて対応したい」と笞えました。同省は6月30日付で「道徳の副読本を学校に備え付けて多数の児童生徒が共用していたとしても、著作権の侵害には当たらない」として各都道府県教委と指定都市教委に対し、発言を訂正する事務連絡を送りました。
 「全国で同じようなことが起こっているのではないでしょうか。本来なら負担する必要のないものを負担させたわけですから、保護者に返還すべきだと思います」と市古市議は話しています。
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 この副読本、厄介者です。学校によってはクラス担任によっては採用しなくても道徳の時間やることがあるのに、採用するのが当たり前になっています。どの社のを採用するかに論点が行きます。分厚い方で子ども達もランドセルに入れての持ち運びも楽ではなく、私も教室に置いておきました。値段も安くなく、新年度お金がかさむときにこの金額も加算されて心が苦しくなります。それで、年度末、希望を募って学校が譲り受けそれを学年で保管して次年度の子が使うことを提案したこともあります。でも汚れているとか、名前が書いてあるとかクリアしなければいけないこともあって実現しませんでした。この記事のように学校で買って共用したり貸し出したりするのは賢明です。これも学校や教師の少しでも親の負担を少なくしようという一つの現れです。今回の記事で副読本の存在が明らかになりました。学校にはまだ他に使わなくていい、なくても指導や授業が出来るのに、関係団体がせっかく苦労して編集したのだから採用して、とうものがいくつかあります。それらもみんな親の負担です。この一つ一つの見直し、不採用にする取り組みを学校の内からも進めなくてはと思います。

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ある場所で何人かの人と話す機会がありました

ある場所で何人かの人と話す機会がありました。たまたま私の両側にいた人がともに怪我をした人でした。数ヶ月から半年、不自由な生活を続けるうち、日々の不自由ない生活がいかにありがたく、健康が大事か改めて分かったそうです。治療の話、手術の話、病院の話なども聞きましたが、医師の処置や判断で以後の経過と治りが大きく違うことも知りました。腕の問題でしょうが、これは教師にも通じる所があります。技量やテクニックだけでなく、その人に一番ふさわしい治療は何かを見極めるものも含めた技量です。こうした生活が続くとうつになることもあるそうです。自信をなくし、山に行っている人も行けないいらだちと行っている人へのうらやましさで雨で中止になると喜ぶ気持ちになるとか。こうした心の不安定をどう乗り越えるかが、いい経験にするのか、あるいはみんななくしてしまうのかの分かれ目かもしれません。子どもに押し当てても同じことが言えます。子どももよく怪我をしますが、怪我に限りません。いじめ、テストの点、不登校、家庭では両親の離婚や虐待など子どもを襲うアブノーマルな生活に明日にでも陥るかもしれません。子どももうつになったり自虐行為をしたり人間不信になったりとだれでも可能性があります。そうした時に心をどう持つかは精神科医、ケアの問題なのでしょうが、私が思うのは励ましてくれる人の存在と心を開ける友達の存在です。そうしたことをいい経験にするためにも、毎日が順風満帆ではないこと、自分が陥ったときの事を予測できるのも生きる力かなと思いました。そうした力を助けてくれるのは、特に子どもの場合は読書と経験者の話を聞くことだと思います。

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学童保育:広がる地域差 大規模施設分割の動き

学童保育:広がる地域差 大規模施設分割の動き/「放課後子ども教室」と一体化
 学童保育の地域差が広がっている。元々、自治体の取り組み姿勢に違いがあるのに加え、来年度から児童数71人以上の大規模学童保育への補助金が打ち切られることを巡り、対応が分かれているためだ。学童保育の現状を探った。【山田泰蔵】

 「おやつにするよー。ちゃんと座った班からおやつだよ」。指導員が懸命に呼びかけても、子どもたちは駆け回るのをやめない。
 78人が通うさいたま市見沼区の民設学童保育「春岡・春野小学童保育の会」。けんかして泣き出す子もいれば、窓から外に出ようとする子どももいる。全員が落ち着いておやつの時間になるまで30分もかかった。
 「あちこちで起きる騒ぎを抑えるだけで手いっぱい。おとなしい子たちへの目配りや心のケアまではなかなか難しい」と、指導員の金塚生子さん(29)。同学童保育所では今年12月から近くにもう1カ所の施設を開設し、30~40人規模の学童保育に分割する予定だ。金塚さんは「いままでは安全確保で精いっぱいだったが、分割でようやく『保育』ができるようになる」と胸をなで下ろす。
 国が補助金打ち切り
 「落ち着いて過ごせない」「目が行き届かず事故やトラブルが増える」。大規模学童保育の弊害が指摘されたため、国は07年に、「集団の規模は、おおむね40人程度が望ましく、最大70人までとする」などとするガイドラインを定めた。71人以上の施設への補助金打ち切りは、その誘導策の一つだ。
 さいたま市は国に先んじて06年に独自の運営基準を設け、施設定員を原則10~50人とし、民設施設も含めて適正規模化を図ってきた。市内の学童保育155カ所中、来年度まで大規模が続く可能性があるのは1カ所のみだ。しかし、同市のように規模適正化を順調に進めている自治体はそう多くない。
 学童保育の全施設が民設民営の横浜市は「市から強く働きかけて施設の分割を進めることはしない。基本的には運営にかかわる保護者らが自主的に考えて行うもの」(市放課後児童育成課)との立場。22カ所の大規模学童保育のうち分割が決まっている施設はほとんどない。同市内の大規模学童保育の指導員は「日常の運営は保護者らで行えても、分割は場所や資金の確保などの問題がからむ。保護者だけでは難しく検討すらできない」と明かす。
 全国学童保育連絡協議会の調査(5月1日現在)によると、大規模学童保育は全国で2137カ所あり、このうち09年度内の分割を決めているのは792カ所。同協議会の真田祐事務局次長は「補助金が打ち切られないようにと、新入生や高学年の入所を制限する可能性もある」と懸念する。
 共働きに限定せず
 大規模解消の動きとは無縁の自治体もある。東京都品川区は01年から全児童を対象に空き教室を遊び場として提供する放課後子ども教室「すまいるスクール」の導入を進め、05年に公的学童保育を全廃した。共働き家庭の子どもについては出欠確認をするなど保育の機能を持たせることで、学童保育の代用になると判断した。スクールには100人以上が集まることもあるが、区教育委員会は「学童保育とは異なるので分割は考えていない」(庶務課)という。
 品川区のように学童保育を全廃した自治体はまだ少ないが、国は06年に厚生労働省所管の「放課後児童クラブ(学童保育)」と、文部科学省所管の「放課後子ども教室」の一体化や連携強化を打ち出している。これに沿って、名古屋市や大阪市などで両制度の統合を図る動きも強まっており、自治体の取り組みは多様化している。
 公的学童保育を全廃した川崎市では、父母らが公的補助のない自主運営の学童保育を始めるケースが目立っている。同市の学童保育指導員は「学童保育は家庭に代わる生活の場所を提供するもので、遊び場である放課後子ども教室では対応できない」と話している。
 ◇利用児童数80万人--保育園卒園児の6割
 学童保育は、働く母の増加などを受けて97年の児童福祉法改正で法制化された。全国学童保育連絡協議会によると、5月1日現在の学童保育数は1万8475カ所で法制化後12年で倍増し、利用児童数も2.4倍の80万人に達した。しかし、保育園を卒園した子どもの6割しか入所しておらず、依然として不足している。
 国は08年、「新待機児童ゼロ作戦」として10年間で利用児童数を145万人増やす目標を掲げたが、この1年間で増えたのは1万4000人にとどまっている。
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 大規模施設分割は必要なことですが、児童数71人以上の大規模学童保育への補助金が打ち切られるという脅しはなんとも理解できません。そして、ここでも自治体や国の冷たさが目につきます。基本的には運営にかかわる保護者らが自主的に考えて行うもの」(市放課後児童育成課)との立場、という見解はまさに勝手にやっていいよという以外のなにものでもありません。分割は場所や資金の確保などの問題がからみ、保護者だけでは難しく検討すらできないというのも当然です。こうした冷たさは、高学費、義務教育なのに毎月の高額の納付金、などと同じつながりの政策の貧しさです。安心して働けるために学童の必要がますます高まっている時、何か手を打たなくてはいけないはずですが。

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昨日は七夕

昨日は七夕、しかも満月、夜、月が見えると最高なのですが。いつもそうですが、今年も保育園の玄関には七夕飾りが目を引いていました。この竹、学校でも以前同僚が自分の竹藪から前日切って学校まで運びそれを使わせてもらっていました。教室の入り口に飾ったのですが、季節感もあり子ども達も折り紙を折ったりしてうれしそうでした。七夕は古来の文化と思うのですが、ある人は宗教的なもので学校ではしないほうが、という意見もあります。昔はプール開きで御神酒と塩をプールに入れて安全祈願というのもありましたが宗教的なのでしょうか、それは消えたようです。それでも七夕かざりあたりは学校でもあっていいと思いますが。そして天気は悪くても空や星に目を向けるこれまたチャンスだと思います。若田さんがシャトルで長期滞在している、かぐやが月の様子を送信していた、今月は皆既日食が見られる、など条件もあります。先月恐竜博物館丙へ行ってきましたが何億年前のこのロマン、それはこの星や宇宙の世界も同じです。そこに子ども達が目を輝かせると科学の卵が育ったり、また子ども自身の心が大きくなるような気もします。

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私の出会った先生

堤未果(ジャーナリスト)
   心を開くことを恐れなかった先生

 学校生活を思い出そうと記憶の糸をたどってゆくと、出会った人たちや出来事がいくつも入り交じり輪郭がぼやけてくる。でもそんな中、大人になった私が、自信をなくしかけるたびに思い出す記憶がある。ずっと特別な場所にしまっておいたあの瞬間と、一番必要なものを教えてくれたI入の先生のことを。
 私の通った和光学園には、ひとクラスに最低2人、障害をもった生徒がいた。目の見えない子や耳の聞こえない子、私のクラスにもS君というダウン症の子と、T君という自閉症の子がいた。和光の先生たちは条件に関係なく、全生徒を同じように扱う。一人ひとりの顔や性格が違うように、彼らには同じことをするときにほんの少し手助けがいるのだと説明する。和光では、障害はそれ以上でも以下でもない。だからどのクラスでもそういう子は、砂場の砂をかき分けるようにして自然に居場所を手に入れていた。
               
 小学校のとき初めての担任だったB先生は、見た目が怖いことで有名だった。もじゃもじゃ頭が伸びすぎてアフロと化した巨体、口を間けば大声で、どんなにうるさい教室もすぐに静まり返る。体の小さい私は、一目でB先生を嫌いになった。
 自閉症のT君は卵アレルギーで、卵を見るとパニックになる。あるとき仲間うちでちょっとしたいたずら心を起こし、T君の机の中にゆで卵を入れた。自習の時間にそれを発見したT君は、案の定、大声をあげて部屋中を跳ねまわり、そのようすがおかしくて私たちはみな笑い転げた。そのときいきなり戸があいて、B先生がぬっと顔を出した。みな恐怖で凍りついた。先生は、暴れるT君を後ろから羽交い絞めにして落ち着かせると、静かに話しだした。「T君は障害をもっている。だから漢字もなかなか覚えられないし、いろんなことがみんなよりもうまくできない。でも彼にはすごいところがあるんだ。どんなに勉強しても教科書からは学べないこと、他の人を思いやる心だよ」。
 そういえば、T君は優しかった。ダウン症のS君がマラソンを走 るとき一番大きく拍手しながら跳ねまわって応援する。授業中、誰かの消しゴムが落ちたら真っ先に拾ってくれる。掃除中みなが遊んでいる横で、にこにこしながら雑巾を絞り、何度も何度も窓を拭く。
 「漢字を読める人は大勢いる。でも、人のことを思いやれる人はびっくりするほど少ないよ。みんなが心を開くのを怖がってるこの世界には、優しい人がたくさんたくさん必要だと先生は思う。それはね、君たちがどんなに勉強ができても、教科書からは学べないことなんだよ」。
               
 その日から拡は、何となくT君のそばに行くようになった。T君は、教室の隅にあるオルガンが好きでよく弾いていた。演奏は下手だったが、あるとき弾いていた曲が授業で習いたての曲だったので私が一緒に歌うと、他の生徒も集まってきて加わった。いつの間にか私たちは毎日少しずつその曲を練習するようになり、そのうち誰からともなく先生に見せようということになった。
 そしてある朝、私たちは先生が朝入って来る前に準備して、T君がオルガンを弾き、S君が麻痺していないほうの手で指揮を取り、全員が「タンポポ」を歌った。すると予期せぬことが起きた。一瞬唖然とした顔をした先生が、次の瞬間、両手で顔をおおって泣き出したのだ。
 学校で一番怖い先生が目の前で泣くのを見てみんな仰天したが、一心不乱に弾くT君の伴奏と、夢見るような瞳で手を動かすS君の指揮は止むことがなく、私たちはそのまま最後まで歌い続けた。歌が終わっても先生は泣き続けている。大人が深い感情を惜しみなくさらけ出している姿は、不思議な力で私を揺さぶった。教室の窓から差し込む西日が、私たち一人ひとりの顔を輝かせ、泣いている先生の背中にそっと置かれたT君の手までもオレンジ色に染めていた。               
 大人になると私たちは、傷つくことを避けるために自分を守るよろいをたくさん身につける。安っぽい感傷だと言われるのを恐れて、人問らしさを隠そうとする。そんな場面に会うたびに、私はB先生の言葉を思い出す。
 「この世界にはね、優しい人がたくさんたくさん必要なんだ」。
 子どもだった私だちと同じ目線で本気で怒り、笑い、傷つき、涙を見せてくれたB先生は、心を開くことを恐れなかった。閉じた瞼の裏にオレンジ色に輝いた教室が浮かびあがる度に思う。あの瞬開手にしたものを、決して手放したくないと。       
                                               クレスコ2009.6月号
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 私はこの人の原稿を読んで、教育って即効性を求めるものでないんだと思います。大きくなってから振り返って、この先生にこれだけの影響を感じるというのが教育の力であり魅力でないでしょうか。45分の授業を終えて、この授業で子どもにどんな力をつけたのかという研究会が盛んですが、この意味ではナンセンスなことだと思います。すぐ評価を求めるほど単純ではありません。それが教育のおもしろみではないでしょうか。

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学生と生活綴方の授業を参観

 学生や若い教師たちと生活綴方を学ぶ最も有効な方法は、現代子ども論を基礎に子どもの作品をたくさん読んで作品を読むことが好きになることであると思っている。その考えで大学教育実践もし、卒業生の若い教師たちに実践づくりをすすめてきた。しかし、生活綴方実践のなかで生まれた子どもの作品は、一面では、誰にでも読むことができるが、他方では、担任の教師でなければ本当には読めない側面を持っている。   (途中略)

授業後の作品読み
 授業が終わって、子どもを帰したあとに、T先生と学生だちとの学習会がもたれた。さっき書いたばかりの詩がコピーされ、まわし読みされた。学生たちに、作品のなかから、気になる作品、関心がある作品をそれぞれあげてもらった。次の作品に多くの手が上がった。

 悩み
       A子
私は算数の宿題をしていた。
でも、ぜんぜん分からなかった。
ノートの式と答えの所は真っ白。
 (どうしよ~。忘れになっちゃう。でも分かんない……。)
悩んだ結果……。
分からないのであきらめようという事にした。

 学生の感想。算数が苦手なAさんだが、宿題ができないことをこんな風に書いてくるのは、どこか教師に廿えがあるのかな。「あきらめたくないのにわからない」とこんな表現で訴えてきているのかな。あまり知られたくない作品の内容なのに、授業で自分から進んで前に出て読んでいたことも気になった。

 帰り道の空
          B子
「バイバイ」
みんなと別れた時、
ふと空を見上げた。
きれい。
空はまるで絵の具に水つけすぎたようなうすい色で
雲は白い絵の具をぼかしたようだった。
あまりにもきれいだったので
しばらく空を見上げていた。
なんか心が穏やかになった感じだった。

 ふと‥‥見上げた空の色にしばしうっとりしている作者の気持ちの穏やかさがうらやましい。自然とと気持ちの一体感を題材化したのはBさんだけであった。学生も私もそのなにかゆったりとした雪囲気に共感したのだった。こんな作品を書くBさんはどんな子どもなのかなという関心もあった。

作品に込められたの真実の世界
 担任のT先生は、「悩み」を書いたAさんのことを語ってくれた。
五年、六年の一学期までは宿題はまったくやらず、苦手な算数はまったく自分からやろうとしない状態でした。一人っ子のためなのか友だちとの関わりも少なかったようで、三年生ころからは一人でいるようになり、友だちと遊ぶ生活がほとんどなかったのです。五年の最後には、みんなが彼女を避けていることについても話しあいました。六年の夏休み、水泳や算数の補習で自信をつけてきたのか、二学期からは宿題をやってくるようになりました。
 勉強の悩みを書いたこの詩の内容と、それも今目白分から皆さんの前で読んだことに驚きました。Aさん自身が、勉強に前向きになって、宿題を忘れないようにしたい、と努力しているから書けたんだなあ、と思いました。なんと、
Aさんは、算数では初めて、この体積の単元に合格したんですよ」
 T先生は、Bさんについては次のように語ってくれた。
 「母親は体が弱く、父親は一年くらい一緒に暮らせない時期があり、今は家にいるが働いていません。家事はほとんどBさんがしています。だから両親は自分の言うことをなんでも聞くが、『精神的に追いつめられるんだよね』と話してくれたことがありました。しっかり者のお姉さんな
んですが、私にも想像できない家庭生活に、これからが心配です。学校では異常なほど、好きなアイドルのことをアピールしているのですが、そのことで自分を支えているようにも思えます。家に向かう帰り道の空に『なんか心が穏やかになった感じだった』という最後の一行、心が穏やかではいられない彼女の生活が浮かび上がってくるのです」
 私も学生たちも、詩に書かれている事実には、担任の先生や教室の仲間にしかわからない、そこに込められていた生活の真実があることを教えられた。考えさせられたことは、T先生の作品解説で、書かれている事実とそこに込められた真実のギャップに意表をつかれたことだった。また作品読みの深さ、重さも教えられた。
 子どもの作品を読むことには、担任にしかわからない真実と喜びがある。そして、子どもの表現には、そこに書かれている事実のなかにその子どもの全生活をかけた固有の意味が込められている。子どもの作品には、その教師や親や親しい友人にしかわからない世界が組み込まれているのだ。そこに子どもの作品に込めた真実(意味的世界)の世界が開かれている。教師は、作品を読みながら、その子どもの全生活を重ね、子どもの真実(意味的世界)の世界をも読んでいくのだ。

他の教室では授業ができない理由
 私は、研究会のあとに、T先生に生活綴方の授業観を聞いてみた。T先生は、生活綴方の授業について次のように語ってくれた。
 「生活綴方の授業は、子どもだちと日々生活を共に送っている担任や専科(教科)の教師が行うところに大切な意味があると思います。子どもを丸ごととらえることが大切だからです。
 私の学級に授業を見に来ることは、私や学校の都合が許す範囲で、お見せすることができます。しかし、まったく知らない子どもたち、ちょっとだけ知っている子どもだちとの授業をお願いされたら、本当の意味での『作文や詩の授業』ができないと思っています。なぜなら、担任していない子どもの教室では、今日の作品に表現されたAさんの思いやBさんの気持ちの背景にある生活をわかってあげられないことがあるからです。
 子どもの生活を知らない教室では、授業の進め方、表現の受け止め方など表面的な『授業のやり方』を見せるものになりかねません。真剣に書いたり読みあったりする子どもたちに申し訳ないと思うのです。初対面の子どもや、一、二度あった子どもたちが、本当に言いたいことや、どんな生活がそう書かせたり言わせたりしているのか、私には読み取ったり、発言や表現から汲み取る力がないからです」
 私は、それを聞いてなるほどと思った。そこには子どもたちの生活表現に向きあう誠実な教師の姿勢がにじみ出ている。子どもが真剣に書いたものを読めなかったら「子どもたちに申し訳ない」「汲み取る力がない」というT先生の言い方は、一見、謙虚に言っているだけのように聞こえる。しかし、そこには各地でおこなわれているゲスト教師が教室を借りておこなう授業は、「表面的な『やり方』を見せるだけの」ものになってはいないかという警告が含まれている。
 ゲスト教師による授業を全面的に否定するつもりはない。今日の学校で生活綴方的な授業が忘れ去られているときに、ゲストによる授業は一定の意味を持っている。しかし、その授業を見た多くの先生たちが、ゲストの先生の授業の形式的側面だけを見てしまわないともかぎらない。ゲストの教師も参観者も子どもたちの表現の底にある生活の意味的世界をどれほど読み取れるのかという重い課題が残されるのだ。
 担任でも子どもの内面の本心が読み切れないと言われる今日、私なら読み取れると討い切れるほど子どもは甘くないのではないだろうか。
 T先生の授業観は、津田が言う「子どもの作品を読むということは、その子をよく知り、あるいは知ろうとしている指導者でなければできないのではないかとさえ思えてくる」という実践思想につながってくる。それは生活綴方実践のひとつの最も大切な教師の姿勢を示しているように思えた。その意味で生活綴方の授業は上手とか下手とかの問題ではないのだ。
 そういえば津田八洲男の授業は決して上手というものではなかった。教師の世界でのいわゆる授業の上手・下手論からいえば、下手な授業と言われただろう。なんの飾りもなく、参観者に見せるための気の利いた授業技術もほとんどなかった。私たちが参観に行った日でも、いつも一見ぶっきらぼうな授業だった。しかし、そこには涙とユーモアがあった。子どもだちとのウソのない生活表現を共有する安心できる共感が広がっていた。
 学生たちは、作品読みに組み込まれている子どもの思いを読み取る教師の子どもの捉え方の深さに驚きながら、感動を持ち帰ることができた。生活綴方実践における教師と子どもたちの真剣勝負の場面に出会えたことを、彼らが教師になったときの宝物にしてほしいと願う。
                                「作文と教育」2009年6月号 村山さん原稿
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 その子の生活をつかんで知っている担任が子どもの書いたものを最も読み取ることができる、というのは納得です。言葉を返せば、子どもをしっかり見て、つかまないと授業もできないし学級づくりもできない、ということになります。また「はいはい」と手の挙がる華やかな授業、子ども達がたくさん意見を自分達で言い合う素敵?な授業もはたしてそうなんだろうかとずっと思っていました。授業ってショーではないし全てが楽しいものでもないし、むしろポツポツとし、参観者が見ていてもつまらないもととも言えます。でも担任と子ども達にとっては意味のある授業になっているそんなのが授業だと思っていました。その思いと一致したのがこの原稿です。授業ってこんなのではないでしょうか。

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